臨済禅宗 正覚山 多福寺 > 〒875-0043 大分県臼杵市二王座191 本丁辻入る 電話番号: 0972-62-2912
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臨済禅宗 正覚山 多福寺

875-0043
大分県臼杵市二王座
191 本丁辻入る


TEL:0972-62-2912


・住職・
関 泰典

・創建・
慶長6年(1601年)

・開祖・
了室禅師

・本尊・
釈迦牟尼仏
脇士に文殊菩薩、
普賢菩薩

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トップページ > 正覚山 多福寺について > 多福寺の歴史
 多福寺は、慶長6年(1601)臼杵第2代藩主稲葉典通公が、
駿府(静岡)臨済寺鐵山宗鈍禅師の法嗣:了室宗密禅師を
開祖に請うて創建した「禅寺」です。

鐵山禅師は天文元年、甲斐国上条(甲府市)武田信玄の臣窪田氏の子で、
幼くして恵林寺で出家しましたが、天文18年臨済寺の太原崇孚に参じ、
太原寂の後更に同寺の東谷宗杲に随侍し印可を受けた人です。
平成19年、NHK大河ドラマ「風林火山」で伊武雅刀が演じ、
平成29年、「おんな城主直虎」では佐野史郎が演じた、
今川義元の軍師雪斎和尚が太原崇孚その人です。

 因みに、天正4年の武田信玄公葬儀の大導師は快川国師でしたが、
起骨導師を鐵山禅師が勤めています。

 戦国大名と禅僧とのかかわりは、武田信玄と快川紹喜、今川義元と大原崇孚、
織田信長と沢彦宗恩、徳川家康と鐵山宗鈍などが有名ですが、
戦国武将にとっての禅僧は精神的よりどころとして欠かせない存在となっており、
その要求に応ることのできた禅僧が戦国武将を外護者にできたのです。
鐵山禅師が臨済寺にあった頃、徳川家康も人質として臨済寺にあった縁により、
後に家康も鐵山禅師に有力な檀越になろうと何度か申し出ましたが、
いずれも断った鐵山禅師でした。ただ妙心寺三門は家康の支援で完成しています。
徳川政権下にあっても甲州武士との親接深く、
朝悲幕荘の実況を憂う心から家康の怒りをかうこともあり、
一時京を離れ多福寺に入寺していた事も記録されています。


 多福寺の歴代は、開山了室宗密・2代雪窓宗崔・3代賢巌禅悦と嗣がれますが、
いずれも鐵山禅師の法系です。
第2世雪窓宗崔禅師は竹田市の出身で、
慶長4年、玉来の真正寺(浄土真宗)で得度しました。

その後、臼杵善正寺に移りますが、ある日城内で藩主稲葉典通公と談話する
禅僧の姿を見て禅宗に転宗することを決意し、寛永8年、多福寺に入寺しました。

寛永17年、一絲文守のすすめにより、
後水尾上皇に招かれ参内し 碧巌集第12則洞山麻三斤の話を講じて、
獅子金毛の払子・亀甲の杖・光明皇后の 法華経を下賜されています。

正保3年に、紫衣勅許を受けて妙心寺に出世しましたが、
慶安2年多福寺にて寂しました。
禅教双挙の持戒禅をかかげ、著書に「禅教統論」「興福寺筆記」等があります。

後に「仏智丕昭禅師」と諡されました

 第3世賢巌禅悦禅師は、元和4年、臼杵海添の医師土屋道竹の子として生まれ、
17歳のとき多福寺にて得度し、後濃州に出て愚堂東寔に参じています。

雪窓禅師寂後、伊豫大隆寺の節巌道円の印可を受け、多福寺に住持しました。

万治元年、長崎に出向き、
中国の黄檗僧、道者超元・隠元隆埼・木庵性瑫とも謁えています。
特にこの年中国に帰った道者超元の
おそらく最後の自賛の頂相が今に伝えられています。

延宝元年、64歳で山庵寺に退隠、
元禄7年には、第5代藩主稲葉景通公の導師を勤め、
同9年秋、病床に伏すや第6代藩主稲葉知通公は自ら山庵寺に赴き見舞いましたが、
翌10年12月16日、79歳にて示寂。
宝永4年、諡号「仏灯明覚禅師」を賜りました。
法嗣に豊予派として多くの弟子が集まり隆盛した古月禅材禅師がいます。

 この後、第12世層天楚芳禅師までは賢巌禅師の法系が続きましたが、
第13世春龍宜勇禅師(濃州大勝寺耕隠智訓禅師の法嗣)より
自隠禅師の鵠林派下となり、
第15世鰲巓道契禅師(蘇山玄喬禅師の法嗣)に至って卓洲派下法系となりました。

第15世鰲巓道契禅師は尾州熱田の生まれ。
16歳で熊本見性寺に掛塔し、蘇山禅師の印可を受けました。

嘉永元年、多福寺に住持し、 以来聖胎を長養すること20年、
第14代藩主稲葉観通公の崇信尤も篤かったそうです。

 明治元年、師蘇山禅師の遺命により
多福寺を第16世鉄堂全機禅師に譲り、名古屋徳源寺に移りました。

以来、多福寺は叢林としての役目を終え、第19世の現在に至っています。

説明が少し専門的になりましたが、
最後までお読みいただき有り難うございました。


●出典
 ・霊雲院発行 竹貫元勝著「妙心寺散歩」
 ・臨済寺発行  「大龍山臨済寺の歴史」
 ・(株)同朋舎出版発行 大桑斎編著「雪窓宗崔」
 
 
 
 
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