臨済禅宗 正覚山 多福寺 > 〒875-0043 大分県臼杵市二王座191 本丁辻入る 電話番号: 0972-62-2912
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臨済禅宗 正覚山 多福寺

875-0043
大分県臼杵市二王座
191 本丁辻入る


TEL:0972-62-2912


・住職・
関 泰典

・創建・
慶長6年(1601年)

・開祖・
了室禅師

・本尊・
釈迦牟尼仏
脇士に文殊菩薩、
普賢菩薩

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事前に10人以上で
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トップページ > 正覚山 多福寺について > 寺宝のご紹介
  境内にある観音堂は「普門閣」と称し、
当山三世賢巌禅師が寛文11年(1671)52歳の時、
「一切衆生の業障懺悔」のために観音経を誦しては三拝し一刀刻んでは三拝して、
6年間の歳月をかけて心魂込めて彫り上げた聖観世音菩薩を安置しております。

また、九州でも数少ない立羽目板の袴腰の鐘楼は、
文化11年(1814年)第十一代藩主稲葉雍通公のときに建造されましたが、
当時の名工と称された高橋団内親子の作と伝えられています。

  墓地には、日本最初の英文法書と言われる「英文鑑」を書き、
政治犯として幕府から追放され弘化2年(1845年)臼杵藩にお預けになった
幕府天文方渋川六蔵(嘉永4年=1851没)や高橋団内の墓もあります。
 
 
境内観世音堂   賢巌禅師自刻の観世音菩薩
     
観音堂扁額「施無畏」

●名工高橋団内の略歴

 高橋団内政孝は天明五年(一七八五)臼杵市海添に生まれた。
初代団内は大分戸次利光の庄屋高橋氏より分家して臼杵に移り、
多福寺に奉公して後、初めて大工となった人である。
団内は代々襲名する呼び名で、団内政孝は初名を吉五郎と言ったが、
幼少より父亦五郎に就いて修行し、又、侍大工山崎平内重義に従って技を磨いた。

文化四年二十三歳の時、初めて棟梁として戸次の妙正寺を建てた。
この時戸次の一棟梁は若年の団内が請け負いしたことを軽蔑して、
「あの吉五郎に普請が出来るものか。」と陰口し、
さらに臼杵から送って来る切り組み用材に何の符牒も付けていないのを見て、
「これではとても建てられぬ。」と言っていた。
然るに団内の戸次に至るや、彼は此の切り組み用材を片小口より抜き出して、
立派に組み立てさせたので、その棟梁も非常に驚嘆したと言う。

その後団内が棟梁として建築した主なものには、
臼杵大橋寺、蛭子社海岸寺護摩堂、下ノ江大野天満社、
大分専想寺(焼失)、戸次帆足本宅の書院(藩侯御成座敷)、
別府の荒金氏邸宅、久留米の梅林寺経蔵等がある。
臼杵龍原寺三重塔も団内の設計によるものである。
尚、団内の作品で残っているのは、図書館の鯉の絵、
子孫の高橋家にある自筆の自画像、紺地金泥の法華経同箱、
塔の設計図、月桂寺に納めた十六羅湊を扉の内側に彫った仏舎利厨子、
多福寺に紺紙金泥の理趣分経、法華経八巻、百壽字の掛け軸等。
又、伊能忠敬が作らせた海岸図は加嶋英團が測量して、
仕上げは団内とその弟子によって描かれた精密無比の地図である。

文久元年(一八六一)六月十日歿、世寿七十七。
戒名は松嶺斎鶴翁良壽居士、墓は多福寺墓地にある。
 
 
高橋団内供養塔   高橋団内の法華経
     
 
境内鐘楼
高橋団内の理趣分経  
     

 

●英文鑑 渋川六蔵著(復刻版)について

 渋川六蔵は文化12年(1815)、
江戸幕府天文方渋川助左衛門景佑の長子として生まれ、
諱を敬直(ひろなお)と言った。渋川家は代々天文方を家職とし、
六蔵も天保13年には書物奉行兼任(現国会図書館長)として抜擢されている。

「英文鑑」は、渋川六蔵が天保11年(1840)から
二年間かかって著述したもので、氏が満25〜26歳のときである。

天保11年といえば福沢諭吉が7歳の少年のころ。
六蔵は、勝海舟をして「独り同氏は蘭学に通業す、時の要路に信ぜらる」 と
言わしめたほどの学者であり、政務の枢機に参与する地位に有った。

彼が心血を注いだこの書は、三部浄書したが、幕府献上の分は所在不明、
天文方備本の分は焼失、家蔵の分は渋川家門外不出として秘蔵されている。

 昭和3年12月、復刻版百冊が刊行され、
これは渋川家の子孫から多福寺に贈られた一部である。

この英文鑑は、英文法書であると同時に、
江戸最初の英文書であり、世に与えた影響は極めて大きく、
これにより、たちまち江戸の英学熱は高まったとの事。

   
渋川六蔵墓    
 
 
英文鑑   英文鑑
     

     
狩野永真安信筆、隻履の達磨図(左図)
並びに、賢巌禅師筆、釈迦出山の図(右図)
 

     
 
竹宵寺宝展の際の様子   禅機画の展示
     
 
賢巌禅師筆、紺紙金泥の法華経   祖元高尼筆、血書の法華経
     
 
石仏火祭り協賛:古寺巡礼寺宝展   展示風景
     
狩野派・掛け軸   涅槃図
     
霊源慧桃筆達磨図画賛
&春叢紹珠筆十六羅漢図(双幅)
大本山妙心寺開山無相大師頂相
九州国立博物館妙心寺展用撮影風景
 
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